虹の上を行ったり来たり、ねこのように気ままに

女→男→女と、二度の身体改造を経て変身してきたトランスジェンダーの日々。

ツラかった中学時代

復職してからというもの、毎日があっという間に過ぎてしまい、気がつけば前回の更新から2週間もたっていました(笑)。ビックリ!

しかしまあ、マイペースにいきましょう。

 

さて今日は、とってもツラかった思い出の残る中学時代を振り返ってみます。

 

部活!部活!部活!

中学時代はなんと言っても、部活が一番強烈な記憶として残っています。前回の記事で小学校の時にサッカー部に入っていたことは書きましたが、3〜6年生の卒業するまでやっていました。中学校にもサッカー部があり、そのまま続けようか迷っていました。ちなみにわたしが通った公立中学校は、必ず何かしらの部活動に入部しなければなりませんでした(この決まりがなかったらおそらく帰宅部だったと思われる)。

中学生にもなると、男子と女子の体力や体格差はますます出てきて、正直このままサッカー部は無理かもなという気持ちと、でもせっかくやってきたから続けたいという気持ちが半々でした。しかし、中学校のサッカー部顧問の一言で、サッカー部に入ることはやめました。

 

「女子も入れないことはないけど、多分試合には出られないと思うよ」

 

なにー?わたしがどれだけやれるかも見ずに、「女子」っていうだけでそういう扱いなのかー?

 

なんだか、諦めと呆れと悔しさとが混じった感情を抱いたのを覚えています。でも、「ああ、ここでは最初からまともに評価してもらえないんだな」と悟り、さっさと卓球部に入部しました。

なぜ、そこでいきなり卓球部か?ということなんですが、小学生の時にちょこちょこ遊びでやっていたり、元卓球部の母に少し教えてもらったりして、「もしかしたら向いてるかも?」なんて思っていたからです(笑)。

そして本当に向いていたらしく、市の大会で優勝することもありました。これはこれで「めでたし」なんですが、めちゃめちゃツラかったことがもう一つ。

 

それは、陸上です。

わたしの中学校には陸上部というのがなく(部員がおらず)、大会のあるときだけ各部活からの寄せ集めメンバーで出場するというかたちをとっていました。そこになんと、わたしも入れられてしまったのが悲劇の始まりでした。

 

足が速い、普通、遅いの3つに分けると、ギリギリ速いグループに入ってしまったがために(速いグループの中では遅い方)、ついていくのに必死で、毎日泣きながら走って(走らされて)いました。また陸上の顧問と卓球部の顧問が同じで、どこに行っても逃げられないという…。意味のわからないトレーニングや恥ずかしい創作ダンス、今だったらすぐ問題になるであろう暴言や体罰なんて、日常茶飯事でした。あまりに耐えられなくなり、同級生たちに呼びかけて署名を集め、その顧問の先生に辞めてもらおうと試みたのですが、途中で担任に見つかり、こちらの言い分は聞き入れられず、理由もわからないまま説教をくらいました。この時、大人は誰も守ってくれないんだなと思いました。

 

学校生活

一方で、部活以外の学校生活はというと、わたしはいっそう女の子らしくすることにこだわっていました。

 

中学校の卒業アルバムの写真がこれです。

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育ち盛りで顔パンパン(笑)。

当時は大人ぶっているつもりでしたが、今見るとあどけないですね。

 

小学校の高学年時にも増して「男は男らしく」「女は女らしく」という感覚が強くなり、そうでなければいけないとさえ思っていました。

 

誰と誰が付き合う、というような話も出てくるようになりますし(わたしも確か1人の男子と付き合ったような時期もあったなー)、男子に好かれなければ価値がないかのような錯覚に陥っていました。この「女は男に評価されるもの」という考え方自体、「女性蔑視(ミソジニー)」にとらわれていたんですが、当時は誰もそんなこと教えてくれません。

だから一生懸命「かわいい」「優しい」を演じていましたし、今みたいに他人の前で毒を吐くことも滅多になかったと思います。

そのおかげで周囲からは「かわいい」「優しい」なんて言われていましたが、ただ嫌われるのが怖くて誰にでもいい顔をしていましたからね、かわいくないと思われたらどうしよう、本当は全然優しくねーし、などと思っていました(笑)。

 

また、わたしのことを気に入らなかったのか、ある女子から「わたしが化粧をしてきている」という根も葉もない噂を先生に告げ口され(化粧なんて全くしてないのに)、呼び出され疑われ嫌な思いをしました。女子であることと女子といることは、なんでこんなに面倒臭いんだ!と思っていました。男子だったらありのままでいられそうで、こんなねちっこいこともなくて楽だっただろうなーとも思っていました。

 

ジェンダーフリー」という言葉との出会い

こんなジェンダーバイアスまみれの中学時代でしたが、3年生の時の担任から初めて「ジェンダーフリー」という言葉を聞きました。

ホームルームの時間だったか、先生が突然ランドセルの話を始めました。「女子が黒のランドセル、男子が赤のランドセルでもいい」という話でした。当時は、今のようにカラフルなランドセルはなく、赤・黒以外だと、ごくたまにピンクや紺のランドセルを見かけるくらいでした。

 

ようは、「女らしくなくてもいい、男らしくなくてもいい、自分で選んでいい」ということでした。その時のわたしは、この話に衝撃を受けるでもなく、「へえ〜。でもそんなこと言ったって実際は選べない(選べなかった)し」と思っていました。当時の私のジェンダーバイアスを解くには、一人の大人の話だけでは効果がありませんでした。あまりにもガッチガチのジェンダーまみれの中で育ってきたので、選べるなんて非現実的な理想でしかないと思ったのです。

 

卒業後の進路

こんな中学校生活を送りながら、わたしは早く大人になりたいと思っていました。わたしの中では「大人になる=自由になる」だったのです。だから、高校へも行かずに早く働いて自立したいと思っていました。しかし、両親に「お願いだから高校までは行ってくれ」と言われ、しぶしぶ近くの公立高校を受験して、進学することにしました。

高校では、これまで部活やいい子を頑張ってきた反動でしょうか…荒れます(笑)。

それはまた次回の記事で。

 

ねこのように気ままに。

 

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